シソジュース
小学生の頃、幼馴染の家でたまに出される飲み物があった。赤紫色の酸味の効いた爽やかなジュース。初めて飲んだ時あまりの美味しさに感動し、友人にこれは何かと聞いた。彼女は「おばあちゃんのシソジュースだよ。」と答えた。当時シソジュースが何か知らなかったがとても気に入った。私は子供ながらにそれなりに弁えていた。いくら幼馴染とはいえ他所の家でジュースを要求するのは気が引ける。普段なら出された物をありがたく頂戴するのみなのだが、たった1度おかわりをしたことがある。それがシソジュースだった。結局自宅では飲むことは叶わず、友人宅で数回飲んだきりであった。
大人になり、ふとした時に思い出しては「美味しかったなぁシソジュース。」と思うだけ思って通り過ぎてきた。私にとってシソジュースは幼馴染の家で飲む物だった。そしてまた久しぶりに思い出した。やっぱり飲みたい。そこからの行動は早かった。翌日スーパーに行き赤紫蘇や瓶などを買い、帰ってそのままの勢いで赤紫蘇を煮出して瓶に詰めた。私は大人なのだ。「おばあちゃんのシソジュース」が何かを知っている。飲みたければ買えば良いし作れば良い。至極簡単なことだった。
売っていた赤紫蘇は思っていたより量が多く、大きな瓶いっぱいの赤紫蘇シロップが出来上がった。瓶に詰まったそれは想像よりも濃く暗い色をしていたが、グラスに注ぎ氷を落とすと鮮やかなルビーレッドに変わる。飲めば広がる夏らしい草の爽やかな香りと酸味と優しい甘さ。私はこの赤紫蘇ジュースを好きな時に好きなだけ飲むことができるのだ。何故なら私は大人なので。
余談だが、紫蘇ジュースの酸味が赤紫蘇由来ではなく、色止めのために入れてる酸(クエン酸やレモン汁、お酢など)によるものだと今回初めて知った。考えてみれば分かる話なのだが何故かあの味は紫蘇ジュースにしか出せないと思い込んでいた。元来、酸味の強い物を好むのでリンゴ酢でも飲んでいたら良かったのではないかと考えもした。しかし、あの赤紫蘇の香りと色と特別感も含めて私は好きだったのだと思う。
茗荷
数年前、何故だかわからないが茗荷の苗、もとい地下茎を衝動買いしたことがある。それはホームセンターの角の野菜苗コーナーにいた。黒いポットに植え付けられて。当然、地下茎なので地上部には何もない。湿った培養土が詰められたポットが並んでいるだけである。
何を買うでもなく彷徨いていた私は、何も無いそれが何か気になり近寄った。ポットに差し込まれたタグにはザルに乗せられた茗荷の画がある。薬味の中でも茗荷を特に気に入っている私は、そのタグを見るや否や育ててみたくなった。しかし目の前には土しか見えぬポット。本当にここに埋まっているのだろうか、どのくらいの大きさの地下茎が埋まっているのだろうか。もちろん商品を掘り返すわけにもいかないので、その土の詰まった400円程のポットを信じて連れ帰った。
時刻は15時か16時頃であったか、日が傾きはじめる中、急いでプランターに植え付けを行った。恐る恐るポットの土をひっくり返し、手にとる。ほろりと崩れた土の中から2センチ程の頼りない根が顔を出す。目の前にある買ってきたばかりの大きなプランターと手のひらの小さな根を見比べて再び不安に襲われる。それでも小さな根を信じ、大き過ぎるプランターに植え付けを終える頃には肌寒さを感じる時間になっていた。
結論から言ってしまえば茗荷は無事に育った。植え付けから数ヶ月、土しか見えぬプランターを眺め、時々水をやったりした。春に芽が伸びていることに気付いた時はそれはそれは嬉しかった。最初の年は採れないことを覚悟していたが小さな茗荷を2個ほど収穫できた。次こそはと意気込んだ翌年は、梅雨の長雨で少し腐ったりした。
数年間、紆余曲折ありつつも今年は売り物のように立派な茗荷を収穫することができた。毎年収量が少なすぎてその日の夕飯にお印のように入れて終わっていたが、今年はずっと作りたかったアレができる。買った当初、夏の暑い時期に薬味たっぷりの冷奴などを期待していた早生のはずのそれは、朝晩に肌寒さを感じる頃になると顔を出し、優しく深いピンク色の甘酢漬けとなった。爽やかな酸味とやわらかい甘味、噛むとα-ピネンの香りが広がる。
麦茶
夏の定番のお茶といえば麦茶である。冷蔵庫を開けると麦茶パックが沈んだボトルが冷やされていて、夏の乾いた喉を潤す当たり前にある茶色い液体。たまにはジュースが飲みたいなどと言って毎日飽きるほど飲んだものだ。
と言いたいところだが、私には麦茶を飲む文化が無かった。イメージだけは完璧にあるのにほとんど飲んだことがなかった。
私の馴染みのお茶といえば、ほうじ茶と緑茶であった。
幼稚園では立派なヤカンから注がれるほうじ茶を毎日飲んでいた。当時はそれが何であるのかなど気にも止めず、ただただ美味しくいただいていたように思う。
ほうじ茶という名前も存在も認識したのはだいぶ大きくなってからであった。認識をして初めて飲むほうじ茶は「これだ」と懐かしさと謎の安心感をもたらした。
小学生以降はずっと緑茶を飲んでいた。緑茶の缶はいつもキッチンの戸棚にあったし、遠足の水筒の中身は冷たい緑茶だった。祖父母の家では当たり前に緑茶が出され、私も真似て急須で淹れた緑茶を皆にふるまったりした。
(余談だが箸の持ち方も包丁の使い方も祖父母から教わったくらいには両親は子供に無頓着で、大学生になって自分の一般常識の無さに驚きまあまあ苦労した。)
さて、現在に戻る。私は諸事情で水分をそれなりに摂らないとならない。夏場は3リットルは必須である。10代20代をカフェイン漬けで過ごした割にカフェイン耐性があまりないらしく、ノンカフェインのお茶を探しひたすら飲むことになる。
ルイボスティから始め、黒豆茶やハトムギ茶を散々飲んできたが流石に毎日3リットル以上も飲むとなると抽出時間とコストを考えて麦茶に手を出さ去るを得ない。しかし私にはあまりにも馴染みが無い味である。一口含みなんとも言えない顔になる。この調子で何リットルも飲み続けられるだろうか?
だましだまし飲み続けて2日が経った。馴染みの無かった麦茶はほうじ茶ほど懐かしさも安心感ももたらさないが、まるで水のように、なんなら水道水よりも自然に私の喉を通過するようになった。さすが、皆の夏の定番である。
こうして無事に皆の仲間入りをし、私は今日も麦茶を作り飲んでいる。