麦茶

 夏の定番のお茶といえば麦茶である。冷蔵庫を開けると麦茶パックが沈んだボトルが冷やされていて、夏の乾いた喉を潤す当たり前にある茶色い液体。たまにはジュースが飲みたいなどと言って毎日飽きるほど飲んだものだ。

 

 と言いたいところだが、私には麦茶を飲む文化が無かった。イメージだけは完璧にあるのにほとんど飲んだことがなかった。

 私の馴染みのお茶といえば、ほうじ茶と緑茶であった。

 幼稚園では立派なヤカンから注がれるほうじ茶を毎日飲んでいた。当時はそれが何であるのかなど気にも止めず、ただただ美味しくいただいていたように思う。

 ほうじ茶という名前も存在も認識したのはだいぶ大きくなってからであった。認識をして初めて飲むほうじ茶は「これだ」と懐かしさと謎の安心感をもたらした。

 小学生以降はずっと緑茶を飲んでいた。緑茶の缶はいつもキッチンの戸棚にあったし、遠足の水筒の中身は冷たい緑茶だった。祖父母の家では当たり前に緑茶が出され、私も真似て急須で淹れた緑茶を皆にふるまったりした。

(余談だが箸の持ち方も包丁の使い方も祖父母から教わったくらいには両親は子供に無頓着で、大学生になって自分の一般常識の無さに驚きまあまあ苦労した。)

 

 さて、現在に戻る。私は諸事情で水分をそれなりに摂らないとならない。夏場は3リットルは必須である。10代20代をカフェイン漬けで過ごした割にカフェイン耐性があまりないらしく、ノンカフェインのお茶を探しひたすら飲むことになる。

 ルイボスティから始め、黒豆茶ハトムギ茶を散々飲んできたが流石に毎日3リットル以上も飲むとなると抽出時間とコストを考えて麦茶に手を出さ去るを得ない。しかし私にはあまりにも馴染みが無い味である。一口含みなんとも言えない顔になる。この調子で何リットルも飲み続けられるだろうか?

 だましだまし飲み続けて2日が経った。馴染みの無かった麦茶はほうじ茶ほど懐かしさも安心感ももたらさないが、まるで水のように、なんなら水道水よりも自然に私の喉を通過するようになった。さすが、皆の夏の定番である。

 

 こうして無事に皆の仲間入りをし、私は今日も麦茶を作り飲んでいる。